インタビュー本人16

診断時:51歳
インタビュー時年齢:56歳(2016年7月)

2006年頃から計算ができない、字が書けない、靴下を丸められない等が気になり、受診。うつと診断されたが、年賀状の字を見た友人に勧められ、神経内科を受診。2011年アルツハイマー型認知症と診断された。診断時は公務員(調理関係)で息子・娘と同居。2014年より休職中。インタビュー時、息子は独立、娘は留学中で1人暮らし。平日はデイサービス、訪問リハビリ、ヘルパー等を利用し、週末は当事者の交流会、友人との会食を楽しんでいる。

インタビュー本人15

診断時:60歳
インタビュー時:67歳(2016年7月)
インタビュー家族38 の夫

青果店に勤務していた2009年頃、計算を間違えたり、文字がうまく書けなくなったりするようになり、妻の勧めで受診して、若年性認知症の診断を受けた。診断後は、他人に病気を知られることが嫌で、9か月間家の中に引きこもっていたが、和菓子屋でアルバイトを始め、現在は週3日デイサービスにも通っている。診断前からの趣味であるインディアカ(球技)は今も続けており、気心の知れた仲間と過ごす時間を楽しんでいる。現在は妻と二人暮らし。

インタビュー本人14

診断時:51歳
インタビュー時:61歳(2016年2月)

システムエンジニアとして仕事に追われる中、1987年に体調不良で休職。その後、休職と異動を繰り返すうち、2005年配送先で道に迷う、台車を置き忘れるなどが増え、精神科でアルツハイマー型認知症と診断された。当初は、認知症に対する誤解と偏見から絶望の日々を送っていたが、今は、認知症は不便であっても不幸ではないと思える。講演活動や当事者会の活動を積極的に行う。2015年、61歳を機に、ケアハウスに転居するも、iPadなどのIT機器を生かし単身生活を続けている。クリスチャン。

インタビュー本人13

診断時:53歳
インタビュー時:57歳(2015年12月16日)

夫と子供の3人暮らし。2009年頃から、うつ病を疑いメンタルクリニックに2年半ほど通院した。幻視が見えるようになり、2012年1月に夫の勧めで認知症専門医を受診し、SPECTなどからレビー小体型認知症と診断された。数の違いがわからなくなり仕事に支障をきたすようになっていたため、診断直後に退職した。現在は、市のオレンジカフェでスタッフとして当事者支援にあたっている。活動を通じて社会の一員でいられる、まだ生きていていいんだと思うことができている。

インタビュー本人11

診断時:50歳
インタビュー時:52歳(2014年11月)

夫と子供2人の4人家族。2003年頃、不眠で精神科を受診しうつ病と診断され、約6年間抗うつ薬を服薬した。2012年に自律神経症状や幻視から心筋シンチグラフィ等の検査を受けたが診断はつかず、8カ月後、体調が悪化し再診を受け、レビー小体型認知症と診断され抗認知症薬による治療が始まる。現在は多くの症状が改善している。

インタビュー本人08

診断時:50歳
インタビュー時:53歳(2011年10月)

妻とともに生活保護を受給。2009年自宅で転倒し後頭部を打つ。高次脳機能障害も疑われたが、最終的に若年性脳血管性認知症と診断された。血圧は元々高く、言葉が出にくい、重い物が持てないなどの症状は、降圧剤と家族や周りのサポートで回復し仕事に行けるようになった。週5日障害者就労支援施設B型でタオルをたたむ作業をしている。生活保護の状態から脱したいと思っている。

インタビュー本人07

診断時:54歳
インタビュー時:57歳(2011年)
インタビュー家族15 の夫

大学で教職にあったが、2009年に若年性認知症と診断され、現在休職中。週の1日はサポートセンターを通じて受けた仕事をし、1日は家族会で英語を教えている。母親を含め認知症の高齢者が気になっており、自分のできることをしてあげたいと考えている。最近はやることが複雑に感じられ、考え方をもう少し変える必要性を感じている。2012年春に退職予定だが、現在働いている妻と二人暮らしで、落ち着いた日々を送っている。

インタビュー本人06

診断時:55歳
インタビュー時:58歳(2011年8月)

飲食店店長をしていた。1人暮らし。妻とは診断前に離別。子どもとも会っていない。兄に病気の事を知らせていない。2005年頃職場で物忘れやちぐはぐな言動を指摘されるようになり退職。2009年に若年性アルツハイマー型認知症と診断、ショックのあまりうつ状態となる。アリセプト内服中。医療費が払えず障害者認定、生活保護を受けた。週1回ヘルパーに掃除等依頼。現在はサポートセンターで週3日ボランティアをしている。

インタビュー本人05

診断時:59歳
インタビュー時:63歳(2010年9月)
インタビュー家族08 の夫

元脳神経外科医。妻と2人暮らし。2001年頃易しい漢字が書けなくなり下痢も始まり、体の衰弱が激しくなった。2006年に若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。2007年クリスティーン・ブライデンさんの講演を機にアルツハイマー型認知症であることを公表。ようやく自分の病気と自分自身を受け入れることができた。アリセプトと個人輸入のメマンチンとで病状は安定している。夫婦ともにクリスチャン。

インタビュー本人04

診断時:57歳
インタビュー時:61歳(2010年7月)
インタビュー家族05 の夫

妻と2人暮らし。2004年頃、新しい職場に配属されストレスから不眠になり、メンタルクリニックを受診、うつ病と診断される。休職後職場復帰するが、仕事に支障が出て大学病院を受診。2006年に若年性アルツハイマー型認知症と診断される。診断6カ月後、36年勤めた市役所を退職。診断3年半後、有料老人ホームで介護の手伝いをすることになる。利用者の喜ぶ顔が励み。これからも何らかの形で人の役に立ちたいと思っている。

インタビュー本人03

診断時:50歳
インタビュー時:57歳(2010年5月)
インタビュー家族04 の妻

元立体絵本の作家で、夫と2人暮らし。2003年6月、「若年性アルツハイマー型認知症」と診断される。現在は、大学病院の専門外来に通院中。夫が主治医に相談しながら、アリセプトの他に、個人輸入のメマンチン、八味地黄丸などを購入し、それを服用している。3年ほど前から家事ができなくなり、見当識障害*が現れたため、週3回の家事援助と週1回のガイドヘルパーを依頼している。週に1回はデイサービスに通う。

インタビュー本人02

診断時:58歳
インタビュー時:60歳(2010年4月)
インタビュー家族03 の夫

共働きの妻と息子の4人暮らし。大手小売業の販売促進業務をしていた2007年頃、会社の同僚から物忘れを指摘され、受診する。本人に自覚症状はなし。最初の市立病院では「中等度の若年性アルツハイマー型認知症」、大学病院の専門外来では「軽度」と診断される。その後、配置転換で作業的な仕事に異動し、2009年の定年まで勤め上げた。現在、市立病院と大学病院に通院中。週1、2回家族会で事務仕事を手伝う。